死にたかった私が生きることを選んだ理由

今、日本では年間約3万人の自殺者がいると言われています。

かつて私も生きていることが辛くて死のうとしたことがありました。

しかし今生きています。

なぜなら死ぬことが怖いから

そう、死ぬって死ぬほど怖いんです。

子供のころから死にたかった。生きる意味がわからなかった。

親は私を必要としていないと思っていた。

私が死んだら親はやっと私を見てくれるかなと思っていた。

だから死にたかった。

死んだらやっと愛されると思っていた。

だから、何度も死ぬシミュレーションを繰り返した。

飛び降り、首吊り、溺死、服薬、リストカット…

焼け死ぬのは痛そうだし嫌だなぁとか、窒息も苦しそうだし嫌だなぁとか、
死にたいといいながらそんな贅沢なことを考えていた。

ある日、もうどうしようもなく苦しくなって、自分の部屋に包丁を持ち込んだ。

包丁を手首に当ててみた。

手が震える。

包丁を首に当ててみた。

やっぱり手が震える。

皮膚が裂けることを、その痛みを想像したら、とても怖くなった。

体を切るのはやめよう。

じゃあ飛び降りならできるかな。

ベランダに出てみた。

5階の高さ。柵から下を見て、足が震えた。

飛び降りるのはやめよう。

じゃあオーバードーズならできるかな。

家にはバファリンしかなかった。

とりあえず、バファリンを10錠一気に飲んでみた。

でも所詮はバファリン。胃がむかむかする以外は何も起きなかった。

でもその胃のムカつきは耐え難く、ベッドに横になりながらオーバードーズしたことを後悔した。

そういえば睡眠薬や練炭で、もし生き残ってしまったら後遺症がすごくて生き地獄だって聞いたことあるな…

そのことを思い出して急に怖くなって、胃のムカつきだけで済んで良かったと思った。

それでも苦しいことや辛いこと、耐え難いことがあると真っ先に死ぬことを考えていた。

そうして自分の気持ちを慰めていた。

仕事でうまく行かないとき、失恋したとき、友人に会ったあとの一人反省会のとき、何か他者に注意されたときetc…

けれど何度も試してみて、簡単には死ねないことがわかった。

私は死ぬ勇気がなかった。

生きている苦しみよりも、死ぬ恐怖のほうが上回った。

じゃあ、生きるも死ぬも地獄じゃない。

でも”今”は生きている側だ。

どうせ生きているなら、苦しくない生き方をしよう。

それから、楽な心持ちで生きるメソッド系の記事を読み漁った。

そうしたら、意外と楽に捉える考え方を紹介しているコンテンツはたくさんあって、自分にできそうなものを試してみた。

試して試して、試行錯誤して自分なりのやり方を見つけていって、なんとか希死念慮は目立たなくなった。

それどころか新しい友達ができ、自分の居場所になりうるコミュニティにも出会えた。

ちょっとずつではあったけど、楽しいと思える時間のほうが増えていった。

今も全く希死念慮が出てこないわけではないです。

昔の失敗を思い出しては恥ずかしくなったり、友人と会ったあとは一人反省会をすることもあります。

その都度自分の不甲斐なさに死にそうになるけれど、その気持はすぐに消えるようになりました。

今、この記事を読んでくれているあなたは、きっと死にたくて、生きていたくなくて、とても苦しい状況なんだと思う。

けれどこの記事を読んでいるということは、何かしら生きる理由や死なずに済む救いを求めているんだと思う。

生きていてくれてありがとう。

あなたは存在しているだけで素晴らしいです。

確かに状況や環境は苦しいかもしれない。

けれどそれとあなたの価値とは何の関係もない。

しんどいなら、他の環境に逃げていい。あなたを苦しめているその状況から逃げていいんです。

けれど、逃げる先は死ではなく、生きている自分が楽に思える環境に、です。

楽な気持ちで生きられる人がひとりでも増えますように。

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