常に反抗的だった子供時代
これまでの記事で「無理やり笑う」や「ポジティブに考える」や「悲劇のヒロインから抜け出す」など色々書いてみましたが、正直若かりし頃はすべて「うるせーー!!」と思っていました(笑)
子供の頃は親や祖父母に、「笑え」と言われて育ってきました。(こういう押し付けみたいな教育からも毒親が見えますね(笑))
私はずっと、「なんで楽しくないのに笑わないといけないんだろう」と思っていました。
けれど今ならやっと、周りが「笑え」と言っていた意味がわかるような気がします。
他人の言葉より、自分の納得と決断が大事
「笑う門には福来たる」なんて言葉もありますが、やはりにこにこしているところには人も運も寄ってくるものだなと実感しています。(以前書いた『何でもかんでも笑うようにしてたら、自然に笑えるようになった話』も参考までにどうぞ。)
ただこれは、「だから大人の言うことは聞くほうがいいんだ」と言っているのではありません。
結局は、周りがなんと言おうと自分が納得していないと行動は変えられないのです。
なぜなら「他人や環境のせいだ」と思っている限り、変わるための行動はすぐにやめてしまうから。
そしてこれは、ネガティブ思考や笑えない日々を送っている人を否定するものでもありません。
私が伝えたいのは、「ネガティブな自分をだめだと思わないでほしい」ということ。
「自分」という全てを受け入れる
このブログを読んでみようと思ってくれた人は、きっと何かしら今の自分を変えたいと思った人だと思うんです。
それはとても素敵なことなのですが、一方で「今の自分」もちゃんと認めてあげてほしいと伝えたいです。
愛着障害やアダルトチルドレンの人は、基本的に自己肯定感が低い傾向にあります。
自己肯定感が低いことがいけないことではありません。
けれど何か新しいことに挑戦しようとした時、自己肯定感が低いと勇気が出なかったりすぐ諦めてしまったりしがちです。
なので自己肯定感を高くすることも大事なことではあります。
だから、まずはありのままの自分を受け入れてあげてほしい。
とはいえ、ありのままの自分を受け入れることすら苦痛であったり難しい人もいるでしょう。
それすら私は肯定します。
自分を嫌うことすら自分で決めたこと
自分を嫌いな自分すら、そうなんだねと受け入れてあげてください。
「自分を好きにならなきゃ」「自己肯定感が低いからだめなんだ」「失敗ばかりの自分なんて…」
こうやって自分をどれだけ嫌おうと卑下しようと自虐しようと、自分は自分で、誰かが代わってくれることはありません。
それなら、嫌いな自分も含めてまるっと受け入れるしかないんです。
自分を嫌うのも自分が決めたこと。自分が決めたことなんだから尊重してあげたらいいんです。
だって、誰かに「自分を嫌え」とか「自虐しろ」とか言われたわけではないのだから。
今まで失敗してしまったことや、誰かに言われた心無い言葉のせいで、自分を嫌いになるように思い込んでしまっただけなのです。
自分で気づくって難しい
私は、昔は自分が他責思考だと思ってはいませんでした。むしろ自分を責めて、苦しい毎日を送っていたので自責寄りだと考えていたのです。
けれど、細かいところを客観的に考えてみると、環境や他人のせいにして自分を納得させている部分も多くあったことに気づきました。
——親は弟ばかり甘やかして私は自己肯定感が低いから恋人ができないんだ。
・でも、人間関係を親に決められてるわけじゃない。異性が怖いと決めつけているのは自分だ。異性との関わり方を見直してみよう。
——毒親が、私のやることなすこと否定してきたから自分で考える力がなくなって、指示待ち人間になって仕事で苦労してるんだ。
・私は親が毒だと早い段階で気づいていた。なのに指示待ちから脱出する努力をしなかったのは私自身だ。
これはほんの一例です。他にも色々な”他責”を実感してきました。
これは一つひとつ事例にあたったときに考えなければ、一度に全てに気づけるものではありません。
ぶつかってみて初めて、「そういえばこれは他責にしていたな」とわかるものなのです。
環境や不運は変えられないが、そこからの自分は変えられる
確かに環境がよくなくて、苦しい思いをしたかもしれません。
それは確かに不運なことです。
けれど、その不運のせいにして自分を嫌うと決めたのは自分自身です。
誰のせいでもないんですね。
最後にちょっと耳が痛いことを言いますね。
でもきっと、誰かの背中を押すために必要なことなのであえて書きます。
他人や環境のせいにしたままでは、変わることは難しいと思います。
「でも…」「だって…」と環境や他人を言い訳にするのも自分が決めたこと。
けれど少しずつ「自分が決めていたんだ」と気づけたら、次第に気持ちが楽になって、行動も前向きになっていきますよ。
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